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不確かな境界に、確かに立つということ 神山健治監督『攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX』第2・3話について

大学一年のときに選択授業で文学を受講していました。その中で提出した課題小論文を放流。
医学部の教養科目でこのようなことを考えさせてもらえたのは稀有なことだと思います。
 
 
 
 
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攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEXの第2話、第3話では、それぞれ人間の機械化と機械の人間化という、作品の世界の中で特徴的であり、互いに表裏を成しているとも言える事象が主題となっている。
 
第2話で描かれているのは、死後自分の脳を戦車に接続させた技術者・加賀タケシの姿である。彼は病弱な身体に生まれたが、宗教上の理由で義体化――身体のパーツを人工物に置き換えること――を許されず、そのために若くして命を落としている。彼が自ら設計した高性能の戦車に脳を接続させ、戦車を暴走させたのは、思うようにならない身体に産んだ両親に復讐するためと推測されていた。
 
作品中では、義体化を施す、あるいは施されることに特に抵抗を持たない人が多数派である。それが当然である世界において、義体化を許されない彼はマイノリティであり、彼自身は義体化を望んでいるだけあってそのもどかしさは計り知れない。どれほど技術が発達しても、それらの恩恵を受けられない人々というものが存在することは避けられないのだ。不平等は苦悩を生じる。「鋼鉄の身体を手に入れたい」という彼の生前の言葉に、成し遂げたいことが数多くあるのに意のままにならない己の身体に対する彼の苛立ちが痛いほどに感じられる。
 
阻止を振り切って暴走する最新型の戦車は、見る者に恐怖を与える。その姿からは「人間らしさ」は一切感じられない。まさに破壊兵器という様相である。しかし意外なことに、この戦車は、目的地である彼の実家に到着するまでに一人の死傷者も出していない。さらに、戦車を目にした彼の母親は咄嗟に「タケシなのね?」と問う。一瞬にして、その巨大な機械の脳、本質に当たる部分が我が息子であることを察したのだ。生身の身体を喪い、人間らしからぬ凶暴な挙動をする兵器の姿になってなお、そこには彼らしさ、つまり彼のゴーストが宿っていたということだろう。
 
戦車の銃口が両親に向けられたため、発砲を阻止してその命を守るべく主人公・草薙は彼の脳を焼き切った。その刹那に触れたのは彼の両親に対する憎しみではなく、ようやく鋼鉄の身体を手に入れたことを誇るような、それを見せつけることで復讐を達成するかのような、複雑な感情だったと彼女は言う。彼女の同僚・バトーはそれを単なる草薙の感傷だと言うが、果たしてそうなのだろうか。
 
草薙自身もまた、脳以外の身体のほぼ全てが義体化されたサイボーグである。生身の身体を持たずとも、彼女は彼女らしさ、つまりゴーストを備えたひとりの人間である。そんなバックグラウンド故に、彼女は加賀の脳が最後に示した情念を敏感に、繊細に感じ取ったのではないだろうか。義体化によって生き永らえた草薙と、それを許されないまま亡くなった加賀。対照的な運命である。戦車に脳を接続し、悲願であった鋼鉄の身体を手に入れた姿を両親に見せたことによって加賀のゴーストは救われたのか。答えは明確には描かれない。
 
一方第3話は、アンドロイドと恋に落ちたマーシャル・マクマランという青年の物語である。彼はジェリと呼ばれる旧型のアンドロイドに歪んだ愛情を注ぎ、自分のジェリを唯一無二の存在とするために他のジェリを自殺(自壊)させるウイルスプログラムを蔓延させる。草薙らに追われたマクマランはジェリを連れて逃亡するが、追い詰められたその時、ジェリが逃亡を阻止するような行動を取る。そして彼に向けて「ご免なさい、本当に愛してた」(1)と言葉を発する。
 
ジェリとマクマランとの睦言のような会話は、古い映画の台詞をなぞったものだった。しかしジェリが最後に発した「愛してた」という言葉は、映画には存在しない。マクマランの愛情に応えてジェリがゴーストを持つようになったのではないかという説すら唱えられる。
 
マクマランにとってジェリは、ウイルスをばら撒くという犯罪行為を行ってまで唯一無二の存在としたいと考えるほどに恋う対象である。アンドロイドという無機物にそれほどまでの愛情を注ぐ彼は確かに異常に映るが、無機物への愛着という感情は誰にでも自然に存在するものだ。現に、バドーは人工知能を搭載した戦車であるタチコマに合成オイルではなく天然オイルを与え、喜ぶ(自動学習機能を備えた人工知能によって、自らにとって利益となるものを得たときに喜びを表現するような反応を返す、と言ったほうが正確であろうが)タチコマを満足そうに眺めるなど、「メカへの愛」 を見せている。言ってみれば、マクマランの場合はゴーストを持つどの人間への愛情よりもジェリへの執着が上回っているというだけの話なのだ。ジェリとプログラミング通りの会話をするために、マクマランは映画そのままの決まりきった言葉を投げかける。その言葉は彼のゴーストから生じたものではないただの台詞であり、彼のほうがアンドロイドに近い存在へと歩み寄っているようですらある。
 
アンドロイドであるジェリにゴーストが宿るという説は非現実的であり、プログラムにない台詞や行動は収集したデータから学習したものであると考えられる。しかし、マクマランの目を通してみればそれは確かに愛するジェリが発した言葉であり、だからこそ逃亡の気力を完全に奪い得るものとなったのだ。
 
攻殻機動隊」の世界において、機械と人間との違いとは何なのだろうか。そもそも人間と機械を絶対的に隔てる境界など存在するのだろうか。
 
私たちが住む世界の科学は、生き物は血が通っていて温かく、機械は無機質で冷たいというイメージを払拭するほどに進歩はしていない。しかし、作品の中ではサイボーグ技術の発達により、草薙のように生身の身体を持たない人間がごく普通に存在している。したがって、このような単純な分類など通用しない。
 
となると、やはり機械と人間とを明らかに区別するのは“ゴーストを持つか持たないか”の一点のみということになる。
 
資料には、ゴーストとは「義体化と電脳化によって限りなく“機械”に近づいた人間が持つ人間としての“存在証明(=魂)”」(2)であり、「ゴーストの消失(ゴーストアウト)は死を意味する」(3)とある。現代の科学の感覚に照らせば、魂の動き通りに身体、ないしは義体を動かす中枢は脳のある部分であり、脳の思考や情動を司る部分がその人本来のものであればそれは人間と呼べる、ということになる。
 
現在の日本では、脳幹を含む脳全体の機能が不可逆的に停止した状態である脳死を人間の死と定義し、脳の他の部分、つまり思考や情動を司る部分の機能が停止していても、生命活動の維持を司る脳幹が機能している植物状態は死ではないと定義している。しかし、感傷を交えずに考えると、回復することのない植物状態の人のゴーストは消失している。つまり、植物状態の人は人間ではなく、ただ生命という機構を維持しているだけの物体ということになってしまう。
 
私たちがそのような乱暴な論理に抵抗を覚えるのは、その人、あるいは広く人間という存在に愛着、愛情を感じているからではないだろうか。言葉を発さずとも、意志の疎通ができずとも、かつては確認できる形で存在したその人のゴーストがまだそこに宿っていると感じるが故に、その身体を単なる物体として認識することは難しい。ゴーストを持つ存在と持たない存在を隔てる境界はいよいよ不確かで曖昧である。誰かのゴーストを認識するのもまた人間のゴーストであり、その感覚は主観的なものでしかありえないのだ。
 
 このことを逆に考えると、人間を人間たらしめているのは、誰かに宿っているゴースト(あるいは何かに宿っているとその人が思い込んでいるゴースト)を認識し、愛情や憎しみという感情を抱き、執着するという心の動きであるとも言えるかもしれない。戦車を自らの身体として実家を目指した加賀の執念も、ジェリに対するマクマランの偏愛も、言ってみれば人間らしさの発露である。
 
物や思い出に対して愛着を抱くのもまた、自分や誰かのゴーストが存在したこと、存在することをそれらが証明しているからだろう。3話の終盤で草薙が腕時計を大切そうに眺めるシーンがあった。電脳化を施された彼女には、当然腕時計を使う必要はない。それでも彼女が時計を持ち続けるのは、それが彼女の拠り所のひとつとなっているからに違いない。
 
「自分が自分であるためには、驚くほど多くのものが必要なのよ。他人を隔てる為の顔、それと意識しない声、目覚めの時に見つめる掌、幼かった頃の記憶、未来の予感・・・それだけじゃないわ。私の電脳がアクセスできる膨大な情報やネットの広がり。それら全てが<私>の一部であり、<私>という意識そのものを生み出し・・・そして、同時に<私>をある限界に制約しつづける」(4)
 
印象的なこの台詞は、全身を義体化した草薙素子という存在そのものを象徴しているかのようだ。ごく幼い頃から義体を使い、電脳化を施されることによって常人を遥かに超えた能力を得ると同時に、彼女は生身の身体を失っている。それだけに、自分がただの機械ではなくゴーストを備えたひとりの人間であるということを確かめる術を、彼女は切実に必要とする。能力的に強靭であるが故に一層、ふと直面する自分のゴーストの存在の不確かさに苦しむのだ。
 
生身の身体を持たないが故に、自分の記憶は誰かに作り出されたものなのではないか、自分の意識は実は誰かに創られたAIなのではないかという疑念を常にどこかに抱えている草薙ほどではないにせよ、多くのものを掻き集めてやっと自分という存在を保っているという点では私たちも同じである。自分がここにいる意義はあるのか。他の誰か、あるいは人間でない何かでは代替できない価値が、本当に自分にはあるのだろうか。”その他大勢"の中に埋没してしまうつまらない存在にはなりたくない。そのための確固たるアイデンティティを、果たして自分は持っているのだろうか。このような苦悩は誰もが避けては通れない。文字通り超人的なスペックを備えたサイボーグである草薙に、ごく普通の人間である私たちが共感することができるのはこのためだろう。
 
拠り所を必要とし、何かを愛したり何かに執着したりすることはすなわち脆さとなる。どれほどハイスペックな義体を使いこなしても、ゴーストを持った人間であるという一点が弱みとなり、草薙の限界を定めるのだ。それでも彼女は、そして私たちもまた、人間であることを放棄して楽になりたいとは望まない。それは、不安になるほど曖昧な自分と外界との境界に、苦しみながら確かに立っていることこそが人間であることの証明に他ならないからだろう。
 
 
 
 
 
引用文献
 
・第 3 話 ささやかな反乱 ANDROID AND I  攻殻機動隊  CMSB http://ajatt.com/gits/02_gs/03_sac/03_android_and_i.html
 
・ヴィジュアルブック 攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX
 
ホビージャパンBOOK ISBN4-89425-341-0
 
攻殻機動隊名(迷)台詞の世界
 
 
 
 
 
 
 
(1)  第 3 話 ささやかな反乱 ANDROID AND I  攻殻機動隊  CMSB http://ajatt.com/gits/02_gs/03_sac/03_android_and_i.html
 
p.5  30行目
 
(2)ヴィジュアルブック 攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX
 
ホビージャパンBOOK ISBN4-89425-341-0
 
p.68 KEY NOTE 3段目 5-7行目
 
(3)同 7-8行目
 
(4)攻殻機動隊名(迷)台詞の世界
 
 
 
 
参考資料
 
・「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」オフィシャルログ①
 
 バンダイビジュアル株式会社 BCBA-1761
 
攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL
 
 士郎正宗 2005年4月20日第5刷
 
 
製品版DVD解説パンフレット BCBA-1782
 
 
 
・失明患者に「人工視力」国内初 白い光を判別
 
 読売新聞 2010年12月5日 朝刊
 
・「脳を活かす」研究会著 ブレイン・マシン・インタフェース
 
 
 オーム社雑誌局 ISBN978-4-274-50140-1
 
 
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この小論、担当教諭や高校の国語科の恩師に随分と褒めていただきました。
先生方にとってはわたしは数多いる生徒の中のひとりでしかないけど、それでも面白いと目に留めて貰えることは昔から何より嬉しいことでした。今では自分の書いたもの、思考したこと、を評価してもらう機会など殆どなくなってしまって、あの頃はいい思いをさせていただいていたなと懐かしく思います。