気付くのが遅いシーラカンス/再

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「変わりながら変わらずいられる」-ファンによるSMAP論

高3の夏休みに学校の宿題の自由作文として提出したののデータを貼っておく。




SMAPが好きだ。

 しばしば国民的アイドルグループと称される彼らは昨年デビュー二十周年を迎えた。メンバー最年長である中居正広木村拓哉は今年四十歳となる。これほど長い間日本のエンタテイメント界を牽引してきた彼らの五人の魅力はどこにあるのだろうか。ファンの贔屓目は(出来る限り)差し引いて、真面目に考えてみようと思う。

 先に「アイドルグループ」という言葉を使ったが、SMAPはいわゆる「アイドル」の定義からは逸脱した存在であり続けてきた。このことを説明するには、彼らがこれまでにぶつかっては乗り越えて来た幾多の困難について触れなければならないだろう。

 SMAPがデビューした一九八〇年代後半。多くの音楽番組が放送終了となり、歌手活動をしていた多くのアイドルが活路を失った。ちょうどアイドル氷河期と呼ばれる時代である。デビュー当初彼らのCDは本当に全く売れなかった。二曲のシングルCD売り上げ枚数がミリオンを突破、更に一曲はダブルミリオンを達成、シングルCD総売り上げ歴代一位などの記録を誇る今では信じられないような事態だ。

そんな中で彼らが見出した活路が、バラエティ番組だった。今でこそアイドルがコントを演じることは珍しくないが、当時は男性アイドルが女装や特殊メイクまでして笑いを取るなどということは考えられないことだった。後に木村拓哉がこう語っている。「成人式の日、自分と同い年の新成人たちが着飾って行き交う街で、自分と中居はおかっぱの鬘・それぞれ赤と青のド派手なスーツというコントキャラクターの扮装で仕事をしていた。正直、すごく辛かった」と。何とも悲壮感漂うエピソードである。(余談であるが、SMAPは芸能界で確固たる地位を確立した現在でもこのような捨て身のコントをしばしば披露してくれる。)

その後バラエティ番組やドラマなどでの活動により徐々に知名度を得て、CDも売れるようになり、人気グループとしての確固たる地位を獲得した矢先、メンバーであった森且行がオートレーサーになるために脱退することになる。人気の面でも、パフォーマンス(特に歌唱力)の面でも、森が支えていた部分は大きく、SMAPは「グループのアイデンティティの危機」とも言える状況に直面した。

また、二〇〇一年には稲垣吾郎道路交通法違反と公務執行妨害(平たく言うと駐車違反、そして急いで車を発進させようとした際に静止した警官の膝に接触してしまった)で、草なぎ剛が公然猥褻(こちらも平たく言えば、泥酔して深夜の公園で全裸になってしまった)で、二〇〇九年には現行犯逮捕されるという事件も起きた。どちらも事件に悪質性はないとされ不起訴処分となり、また行き過ぎた報道にファン以外からも批判の声が出るなどしたが、本人たちは一時活動を自粛。SMAP解散とも囁かれた。

これらのグループの危機を、SMAPは「目の前のことに全力を尽くす」という彼らの基本スタンスを持ってタフに乗り越えてきた。

森が脱退したのは、ちょうどSMAPの名を冠したレギュラーのバラエティ番組が放送開始となった年だった。脱退によって視聴率の低下、打ち切りが危ぶまれたが、この番組は現在に至るまで十四年間も人気番組として放送が続いている。歌やコントは勿論の事、実際にメンバーたち本人が料理をしてゲストに振る舞うコーナー、富士登山トライアスロン大会への参加など、アイドルらしからぬ、しかしSMAPらしい体当たりの企画によるところが大きいだろう。

稲垣が逮捕されたのは、デビュー十周年のコンサートツアーの最中だった。その翌日にはナゴヤドーム公演が控えていた。もちろんコンサートは中止になると思われたが、SMAPは四人でステージに立った。歌のパート割、ダンスのフォーメーションなど、何から何まで変更になった中、四人で可能な限りの最高のパフォーマンスを、とそれぞれが全ての力を注ぎ、残りの七公演も空席を出すことなくツアーを終えた。コンサートDVDには、アンコールで稲垣の顔写真入りのTシャツに着替え、「SMAPは五人です!」と連呼する四人の姿が収められている。

草なぎの不祥事は記憶に新しい。この時も、メンバー四人は彼がレギュラー出演しているテレビ・ラジオ番組の穴を埋めるべく奔走し、また本人に代わって騒動を謝罪するなどした。この年のコンサートで、草なぎは公演ごとに土下座して謝罪し、なんと「帰ってきたヨッパライ」のカバーを披露して笑いを誘った。失敗をエンタテイメントに昇華させる一方、この件以来現在に至るまで草薙はアルコールを一切絶つという真摯な姿勢を示している。

このような山あり谷ありのヒストリーを経て、現在SMAPメンバーの活躍の場は非常に多岐にわたっている。バラエティ番組の司会者として。スポーツキャスターとして。ドラマ、映画、あるいは舞台に出演する俳優として。ラジオパーソナリティーとして。趣味で始めた語学を生かして小説の翻訳をしたメンバーもいる。

SMAPの大きな特徴、それは五人それぞれの強烈な個性、そして「得意分野」が異なっているということが挙げられる。

 持ち前の人間観察眼、場の隅々まで心を配る繊細さで司会者として連日テレビに引っ張りだこの中居。自分の魅力を知り尽くし、それを磨くためにはどんな努力も惜しまない、しかし偶像的な「かっこよさ」とは違う自然体を貫く木村。クラシック音楽、ワイン、日本史、その他アカデミックな分野にまで幅広くそして深い知識を持ち、また俳優としては主演のみならず真性の悪役を熱演するなど、マイペースを貫いたまま、それでいて柔軟にあらゆるジャンルにおいて活躍する稲垣。ドラマで演じる「いい人」を地で行く、そして誰よりもストイックにダンスや語学の能力を向上させてきた草薙。老若男女に親しまれ愛されるキャラクターである一方、独特の美的感性を持ち、絵画やコンサートの演出などにも才能を発揮する香取。

 しかしどれほど個人ごとの活動が充実し多忙となっても、彼らは歌って踊るアイドルグループ「SMAP」であり続ける。「方向性の違いを理由に解散するグループは多いけど、SMAPには解散する理由がない。結成した時から方向性はまるでバラバラだったから」とメンバーが語るように、SMAPというグループの魅力はそれぞれの個性を打ち消し合うことなく、寧ろ引き立て合っていることで生まれる。それが最もわかりやすく感じられるのが、彼らのエンタテイメントの真骨頂とも言われるコンサートだ。リーダーである中居を筆頭に五人がそろった時の、圧倒的な迫力。歌やダンスなど各々弱点はあるが、それもフォローし合い、時には絶妙なトークで笑いに変えてしまう。彼らはプライベートでの交流があまりないことが知られているが、仲良しグループのような馴れ合いがない分、十代のころから酸いも甘いも共に味わってきた仕事仲間としてのお互いに対する絶対的な信頼が読み取れる。

 SMAPはデビューから今日に至るまで、絶えず進化を続けてきた。その原動力は、彼らが結成当初から変わらず持ち続けている謙虚さにある。「歌もダンスもお芝居も、それ一筋でやっている人には到底適わない。だから自分たちにできるのは、何でも必死にやること。」とメンバーは口を揃える。その姿勢こそが、四十代を目前にしてもなお「大御所」になってしまわずに、あくまでもアイドルとして第一線で活躍を続けられる理由だと思う。華々しくデビューし、数枚のCDを大ヒットさせ、薹が立つ前に早々と解散してしまうというのが当たり前だったかつてのアイドルグループの常識を打ち破ったことは彼らの功績のひとつだろう。

 中居が作詞したSMAPの楽曲に、こんな一節がある。

「探す 失くす 何度も壊して

 迷う 目指す 笑える時まで

 変わりながら変わらずいられる

 それが得意のForm

これほど端的に彼らがこれまで歩んできた道、そしてこの先の彼らのあり方を表現した言葉は他にないと私は思う。

 今後も彼らの更なる進化と変わらぬ活躍に期待したい。