気付くのが遅いシーラカンス/再

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大学1年生がスマホを持ったことの超個人的功罪だとかそんなような話をしてみる

某国立大の前期入試の翌々日にiPhoneユーザになってからかれこれ1年近くになります。

 

それまでガラケーで許されていた機能は通話とメールオンリーでした。

メール内容も母に抜き打ちチェックされていたのでやりとりはちまちま削除する日々、ネット使用は自宅PCからのみ、アメブロ運営なんかばれたら修羅場。

mixi全盛期に中学生でありながら、みんながやってるからなんかやりたくないという理由で、Twitterもたった140字文字で日常生活垂れ流して何になる!という謎の反骨精神から手を出さず。

 

18歳。受験終了の解放感と共に初めて手に入れた通信の自由。

 

まずフリック入力の不慣れさ故に、主にメール更新で長文をアップしまくってたブログが億劫になりました。

ライヴ映像とかCDとか小説とか、そういうものを見聴きしたときの心の動きを文字にする手間を惜しむようになったら御終いだと思っていたにもかかわらず。

で、あれほど毛嫌いしていたTwitterに手を出しました。

一貫校でずっと一緒だった学友たちと、まったく音信不通になってしまうはなんか寂しい。しかしコミュ障故にがっつり仲のいい友達がごく少ない私にとっては、教室で顔を合わせたときに二言三言会話する程度だった子と『わざわざ個人的に連絡を取る』のは非常にハードルが高い。その点、TLで近況がわかって気軽にリプを飛ばし合えるというのはものすごくメリットが大きいわけです。調子にのって別垢も何個もとる。あんまりフォロワーさん増えなくて寂しい垢はどんどん切る。盛り上がって楽しい垢に入り浸る。この点についてはほんっとにスマホに替えてから充実したなぁと。

 

それから、LINE。なんとなく抵抗があってしばらくはアプリを入れずにいたのですが、入学式前にTwitterで知り合った大学の同期に強く勧められてあっさり陥落。

結論、LINEは大学生活に不可欠でした。教授コンパの連絡も、実習の集合場所の確認も、試験の傾向対策も、学祭準備の諸々も全部グループLINEに上がるので使ってない人めちゃくちゃ不便そう。これぞデジタルデバイドというやつです。

ただ面倒なのは長文が打ちにくいこと。長文打ってる間に既読付けられちゃって、返信が被ったりすると更に焦る。必然的に、かるくてどうでもいい話しかしなくなる。

通知もめんどうなので全部切ってしまってます。LINEの通知ってメールの着信よりパーソナルエリアを浸食されてる感が強いのはなぜなんでしょうか。

 

スマートニュースも入れました。毎日3回最新の情報を自動受信してくれて、電波のないところでも読める。誤字誤変換不自然表現とかの多さに驚く。

そしてその中で引っかかったり掘り下げたりしたものってほぼない。次から次へと新しいものが供給されるから流れてしまう。一週間前に読んだ記事、1本記憶にあればいいほう、って感じです。一昔前にTVの害悪、とか言ってよく論じられてた手垢のついたネタではありますが、受動的に得た情報ってこうも残らないものでしょうか。

 

Twtterのタイムライン、LINEのメッセージ、それと薄いニュース。この3つを追っているだけで、下手をすると本当に日が暮れてしまう。

 

結局長々と書いてなにが言いたかったかというと、便利な情報端末手に入れたことで本当にものを考えなくなったなぁ、という個人的な所感です。

もちろん物事に興味を持つための入り口とか、考えを整理するための道具としてスマホをちゃんと有効利用できる人も多いというかむしろ、そう在らなくてはいけない。わかってはいても実践はなかなか難しい。知恵の実を齧っても本当の意味で賢くならないみたいな話(アップルだしね!)

一番いろいろなことを考えなければいけない年代に、ものすごい情報ツールを手に入れてしまっている私たちの世代。コンピュータライズ・ジェネレイションとでも呼ばれましょうか。この世代が育てた子供がどうなるか、で、それが良かったのか悪かったのかが明らかになるような気がします。